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歴史にみる漆喰で あをによし

外国から見た、日本の漆喰について有名なのが
ルイス・フロイスの「日本史」に引用された書簡です。
基督教国に於て見たること無き甚だ白く光沢ある壁を塗りたり。壁の此の如く白きは石灰に砂を混ぜず、甚だ白き特製の紙を混ずるが故なり。家及び塔は予が嘗て見たる中の最も良き瓦の種々の形あり又二指の厚さありて真黒なるものを似て覆へり。此の如き瓦は一度葺けば四五百年も更新する必要なし。予は六七百年の寺院の多数に於て之を見たり。此の別荘地に入りて街路を歩行すれば其の清潔にして白きこと、恰も当日落城せしものゝ如く、天国に入りたるの感あり。外より此城を見れば甚だ心地好く、世界の大部分に此の如き美麗なる物ありと思はれず。入りて其宮殿を見るに人の造りたる物とは思はれず、之に付記述せんには紙二帖を要すべし。宮殿は悉く杉にて造り其匂は中に入る者を喜ばせ、又幅一プラサの緑は皆一枚板なり。壁は悉く昔の歴史を写し、絵を除き地は悉く金なり。柱は上下約一パレモを真鍮にて巻き、又悉く金を塗り、彫刻を施して金の如く見ゆ。柱の中央には美麗なる大薔薇あり、室の内側は一枚板の如く見え、甚だ接近するも接目を認むること能はず。又地に多く技巧を用ひあれども予は之を説明すること能はず。此等宮殿の多くの建物の中に他に比し更に精巧なる室あり。奥行及び幅四プラザ半にして黄色なる木材を用ふ、甚だ美麗にして心地好き波紋あり。此木材は加工甚だ好く清浄なる鏡に似たり、然れども此は木材の光沢にあらず一種の漆ならんと思はれたり。庭園及び宮庭の樹木は甚だ美麗なりといふの外なし。予は都に於て美麗なるものを多く見たれども殆ど之と比すべからず。世界中此城の如く善且美なるものはあらざるべしと考えふ。故に日本全国より只之を見んが為来る者多し。
ルイス・デ・アルメイダの書簡
wikipediaより丸々引用

1565年10月25日に宣教師ルイス・デ・アルメイダによって書かれたこの書簡、
松永久秀の家臣の招待を受けて城の見学をした時のものとされています。
お城は多聞山城とも信貴山城とも云われていますが、
多聞山城が出来たのが1562年ですので、
そりゃ、見せるならピカピカの方ですよね。

ちなみに数ヶ月前の1565年6月、松永久秀三好三人衆による永禄の変。
室町幕府13代将軍、足利義輝を暗殺した上に二条城を燃やしてます。
この松永久秀(松永弾正)、東大寺も焼いたとのこと。

まったく。大事なオタカラを…。
戦国マニアにはたまらない悪役なのでしょうか?

映画「伊賀忍法帖」でもエロ悪役でしたし。






さて、話は漆喰に戻ります。
「基督教国に於て見たること無き甚だ白く光沢ある壁を塗りたり。壁の此の如く白きは石灰に砂を混ぜず、甚だ白き特製の紙を混ずるが故なり。」

とありますから、紙すさ入りの磨き仕上げだったのでしょうね。
また、当時の西洋の漆喰は石灰モルタルであったことも分かります。
さらに、和紙の文化も初めて知るものだったのでしょう。

その素晴らしさが語られたお城はもう現存しません。
城跡は奈良県の若草山と平城宮のちょうど真ん中あたり。
若草中学校の敷地だそうです。

写真は若草山から。
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天守閣の先駆けといわれる四階櫓もあったそうです。
眼下に東大寺や興福寺などが見渡せる良い景色だったでしょうね。

そんな歴史の舞台となったのは奈良。

奈良の美しさを表す言葉、ご存知ですか?
 「あをによし」 和歌などで知られる枕詞(まくらことば)ですね。

万葉集では
 安乎尓余志 奈良能美夜古尓 多奈妣家流 安麻能之良久毛 見礼杼安可奴加毛
 あをによし ならのみやこに たなびける あまのしらくも みれどあかぬかも
  (奈良の都にたなびく白い雲は、ずっと見ていても見飽きないものですよ。)

 青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
 あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり
  (奈良の都は、咲く花の色香が艶やかに匂い映え、今盛りです。)
などが有名ですね。一般に「青丹よし」と書きます。

青丹については、緑青という説、(朱色の顔料)という説
様々ですが、いずれにせよその美しさは

 漆喰の白さで、より際立った、建物で構成された都の美しさ

であったに違いないと思います。(上のもキレイにみえるでしょう?)

 結論。「あをによし」にも漆喰が必要



今日の 勝手にあをによし奈良キャンペーン(?)は 東大寺
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平城宮大極殿公開まで、あと2週間。
いよいよですね。