技術の習得、伝播、革新…ニッポンの歴史には謎がいっぱい。

2014年6月29日日曜日

よもやま

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1575年の今日(天正3年5月21日)、戦国時代でも有名な合戦「長篠の戦い」がありました。
織田信長が3000挺の鉄砲と新作戦で無敵と言われた武田の騎馬軍団を破った…と習いましたが、諸説あるようです。

ただ、鉄砲を使った「軍事革命」であったことには変わらないようですね。



さて、今日は諸説ではなく、その鉄砲について。


鉄砲が我が国にやって来たのは1543年のこと。
別名「種子島」の名の通り、今の鹿児島県の種子島でもたらされたといいます。

驚くべきは…
そこから30年そこそこで国内に鉄砲鍛冶が存在し、作戦に使われるだけになったこと。
だって、精密な図面も無けりゃ、工作機械もない時代です。

しかも世は戦国。
簡単に情報のやり取りなんてされていない時代です。

wikipedia

それだけ当時のニッポンの技術レベルが高かったということでしょう。
鉄砲鍛冶として有名だったのは、堺、国友、根来、日野など。
関西に集中しています。


流通と需要、そして技術。

それらが集まって「新兵器」となりえたのでしょうね。
兵器よりもその原料の流通、技術の伝播などが大変興味深いのですが…
いつか調べてみたいと思っています。

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