鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ
現代の私たちにはコチラの唄の方が身近ですね。
せっかくなので聴きながら続きを読んでください。
九州博多湾沿岸に今も残る防塁。
そこで守り続けた防人。
そこに守り続けた御家人の苦労が現在も残されています。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEggPkKTguK5HhggrRFJJdYggDYZB0-5NzYu4iPpnH21G-SM4QkBhhluYE7Vcc_FI7PC2KC-L0aD10Bv4GrCxyhTiCo0LoR_0WJdazKE6Y2D1JGD5IA8gNWzA2cka87d0NVi0nCoGRloIozY/s400/FukuokaWall.jpg)
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今年も元寇のオハナシです。
1281年6月23日。弘安四年六月六日は…弘安の役。
2度目の「元寇」のあった日です。
元寇とは、当時の中国を統治していた「元」という国が鎌倉時代であった日本に来襲したものです。
…社会の授業、覚えてますか?
「元」はモンゴル帝国。モンゴル軍4400艘の大船団で14万の兵が九州に攻めよせたのです。
が、7年前の初めての侵攻「文永の役」での経験をもとに作られたのが「石築地(いしついじ)」。 「元寇防塁」としてのほうが有名ですね。
高さ2m幅2mの石壁が、20kmにわたって海岸線を守っていたのです。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgvDvSK_-MCyOGoLTwW_YFd-MlCsAC02S0H3t_RfTQWAFUK-aV-G9SVLz2bhdpjxfsmWYt244Ahp9yRu7whhKKCe8xNAo9cYjmAsmTp8spoWKLYGMOCSUm4HUh2yqfbTYACMgS76PnLvKHi/s640/800px-Takezaki_suenaga_ekotoba_bourui.jpg)
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なので、そこからの上陸は出来ず…カミカゼで…と習ったような記憶があったのですが、違うんですね。
調べてみると、2度目の襲来に対してニッポン全国から太宰府に集まった軍は25万騎。
とてつもない数です。
攻防戦の中やって来た台風で5日間海は荒れます。
その後、海が凪いだのを待って、日本の武士たちによる掃討作戦。
4400艘の軍船はほぼ壊滅したとの記録が残っています。
数でも作戦でも、そして運でも勝っていたわけですね。
さらには単なるカミカゼのおかげだけじゃなかったんです。
防人としてクニを、そして家族を守るために集まった「人の想い」によるものです。
そして6月23日は沖縄慰霊の日。人の想いに感謝と追悼の祈りを。