屋根工事用の資材に南蛮(なんばん)と呼ばれるものがあります。
色々と調べてみると、
元々は屋根工事用に使われた油入りの漆喰のことだったようです。
南蛮渡来のものだったかどうかは分かりませんが。
さて、なぜ過去形か…というと、
現在ナンバンとして使われているのは更に土や樹脂、セメント等が混入され
屋根の土工事の簡便性を高めたものが大半だからです。
元々は屋根の棟に敷きこむ台土や棟土と、面土を守る漆喰の組み合わせが
スタンダードだったようですが、時代の変化でしょうか…。
屋根工事と漆喰については後日、詳しくやります。
今日は南蛮と云えばキリシタン大名。
我が大分を代表する戦国大名、大友宗麟(義鎮)の命日なのです。
(c) ちょこわん|写真素材 PIXTA
大友宗麟、知らない方は知らないままでも良いのです。
戦国大名としても決して有名な方でもなく
郷土の英雄として崇められているわけでもありません。
が、調べてみるとなかなか面白い。
まさに南蛮渡来。
日本で最初の大砲はポルトガル宣教師から大友家に輸入された
二挺の仏狼機(フランキ)砲と呼ばれるものだったそうです。
その大轟音にちなんで付けた大砲の名前が国崩(くにくずし)。
なかなかのネーミングセンスですね。
これは大阪城の大砲。
(c) ヤユヨ|写真素材 PIXTA
また、一昨年にはNHK「その時歴史が動いた」でも紹介が。
戦国の十字軍〜キリシタン大名・大友宗麟の「聖戦」〜
なかなか面白かったです。
時は戦国。島津義久との戦いの中、敗色濃く籠城する中、
周囲20キロの領民を小さな臼杵城に匿い大きく轟く仏狼機(フランキ)砲。
城に続く狭い通路を兵士で埋め、まさに人垣で守ったくだり
「へぇ~あそこでねぇ」と感心しました。
いつ歴史が動いたのかはNHKで。
そんな臼杵城下の古い町並み。
まだまだ古民家も漆喰の町並みも残されています。
(c) tetsu|写真素材 PIXTA
島津の軍勢から領民を必死に守る兵士の姿、
ちょっとイメージしてしまいます。
でも現代の今は島津の末裔の皆様をお助けするのが先。
口蹄疫被害を食い止めるお手伝いのため、頑張っております。