エルトゥールル号遭難事件
今日は日土友好の礎になった日。「土」は「土耳古」。読めますか?トルコと読むんです。
明治23年の今日9月16日、和歌山県串本町沖でオスマン帝国のエルトゥールル号が遭難。台風で荒れた海の中、地元の村民が総出で救助にあたったものの、500名以上の船員が亡くなりました。
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これが明治のエルトゥールル号遭難事件。遭難事件の起きた地点そばの樫野崎灯台には慰霊碑が建てられ、今も慰霊祭が行われています。
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日土友好の礎
私たち日本人はこの事件自体を知らないことが多いのですが、トルコにおいては、これを日本と土耳古(トルコ)の友好の起点と挙げられるようですね。そして、樫野崎にはもう一つ大切なモニュメント。数年前、話題になったケマル・アタテュルク像。新潟柏崎のトルコ村で放置されていたものが、日土友好の地へ移設されています。
互いの気持ちと歴史を尊重しながら、善く生きていかねばなりませんね。
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