防人の詩

2011年6月23日木曜日

たわごと 伝統素材

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730年前の今日は…弘安の役。
2度目の「元寇」のあった日です。

元寇とは、当時の中国を統治していた「元」という国が
鎌倉時代であった日本に来襲したものです。
…中学校の社会の授業でしたかね?

元はモンゴル帝国。
モンゴル帝国の第5代皇帝クビライ・カアンの頃です。
(昔はフビライ・ハンと習いましたね。)
マルコポーロが東方へ行ったのもこの皇帝の治世の頃でした。

そんなモンゴル軍4400艘の大船団で14万の兵が九州に攻めよせたのです。

が、7年前の初めての侵攻「文永の役」での経験をもとに作られたのが
「石築地(いしついじ)」。 「元寇防塁」としてのほうが有名ですね。

高さ2m幅2mの石壁が、20kmにわたって海岸線を守っていたのです。

wikipedia


なので、そこからの上陸は出来ず…カミカゼで…

と習ったような記憶があったのですが、違いました。
調べてみると、2度目の襲来に対して太宰府に集まった軍は25万騎。
とてつもない数です。

攻防戦の中やって来た台風で5日間海は荒れます。
その後、海が凪いだのを待って、日本の武士たちによる掃討作戦。
4400艘の軍船はほぼ壊滅したとの記録が残っています。

数でも作戦でも、そして運でも勝っていたわけですね。
単なるカミカゼのおかげだけじゃなかったんです。

今も残る防塁。
そこに守り続けた御家人の苦労が現在も残されています。

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クニをあげてまさに一丸となって「守る」ために築き
そして守ったわけです。

今求められている挙国一致の体制…ですかね?

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